アートの力

【アートの力 Vol.2】アート作品とともに暮らすこと

23歳でアートギャラリーに勤め始めたころ、上司に、 

「アートを購入する人と、購入した経験のない人では、圧倒的な差がある。買う人間になれ」 

と言われました。若かった私は、「そんなこと言われても、友達との飲み会にお金がかかるしな」と、その頃は上司の言葉の本質を理解することができませんでした。けれど、それ以降、気に入った作品があると、手に入れられる金額のものであれば購入するようにしています。 

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Bunkamura Gallaryで勤めていた頃 

初めて手に入れた作品は、不思議の国のアリスに出てくる白兎の木版画でした。イギリスのアンティークブックの挿絵部分を切り出して額装したもの(挿画が木版で刷られていた時代のものです)。勤めていたギャラリーで購入したので、社員割引をしてもらいました。値段は覚えていませんが、当時のお小遣いで購入できる額なので、1〜3万円程度だったように思います。購入してから20年近く、作品は常にそばにあり、日焼けに気をつけて、ちゃんと飾っています。 

日常的にはじっくりと見ることはなくとも、こうしてアート作品とともに時間を過ごしてみると、今も作品に寄せる自分の気持ちが、全く色褪せていないことに気がつかされました。若かったあの頃の感性のまま、私はいまでも、白兎の絵を楽しく眺めることができます。日々の暮らしの中で、私自身の感受性は育ち、暮らし方に変化もあります。けれど、変わらない好みがある。ともに長い時を過ごす作品は、長年を寄り添うパートナーのような存在になりました。 

唐突にやってくる、心が動く作品との出会い 

10年来の友人で、アーティストの水川千春さんは、「炙り絵」という珍しい手法で制作を続けています。小さな頃、みかんの汁で紙に絵を描いて、下から火で炙ると焦げて絵が浮かび上がるという遊びをしたことがありませんか? その炙り絵が、彼女の手法です。 

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2012年に滞在制作をしていたすみだ川アートプロジェクト(東京)で制作した作品と水川千春さん 

かつて水川さんは、全国各地で行われる芸術祭やアートプロジェクトを渡り鳥のように飛び回り、旅をしながら、その土地、その土地の風土や人と向き合って制作する日々をすごしていました。その過程で、風呂の残り湯、川の水、海水、母乳をあぶり、「水」が抱えている全ての記憶を、焦げ跡として紙に浮かび上がらせてきたのです。 

私が彼女に頼んで作品を買わせてもらったのは、5年ほど前のこと。水川さんが参加している長野県で開催されていた原始感覚芸術祭に、友人らと訪れた時です。その頃、水川さんは海水を素材に炙り絵を描いていました。そこで目にしたのが、普段は大きな炙りを制作することも多い彼女の作品が、小さな額に収まっている姿。反射的に「欲しい!」と思いました。触手が動くとはこのこと。その作品は今もベッドサイドの壁に掛けています。 

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炙り絵を購入させてもらった時の記念写真 

緊迫してしまった日常で、心に水を与えてくれた 

私が水川さんの作品のすごさを思い知ったのは、2020年のコロナ禍での暮らしの中ででした。その頃の私はリモートワークが得意なNPOの広報を、委託で受けていたので、仕事は完全にリモートになり、家で過ごす時間が圧倒的に増えました。近所を散歩して季節の花を眺める時間もでき、楽しい家時間を過ごしていたつもりでした。けれど、社会全体の閉塞感や先が見えない不安は、いつの間にか私の心に侵食してきていたようです。 

自粛が続く暮らしのなかで抑圧感を抱えていた頃、寝る前や起きた時、ふっと水川さんの作品が目に入ると、塞いでいた胸が、すうっと、気持ちよく開けるような感覚が起こることに気がついたのです。なぜだろうと、作品をよくよく眺めてみたら、そこには相反する「火」と「水」の気配が同居していました。強度のある自然の力が、作品の中に生きいきと存在し続けているのに気がつかされたのです。小さな自分の部屋に、大いなる自然が存在することを、水川さんの作品は語っていました。そして、その自然が私に安らぎをもたらしてくれていたのでした。 

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ベットサイドに、他の作品とセットで飾っている水川さんの作品 

出会いから数年経って、そばにある作品の新たな魅力を発見できるとは、なんとも鮮烈で素敵な体験です。今、私の部屋にある水川さんの作品は、出会った時よりも一層、価値のある大切なものになりました。 

良い作品は、時を経て輝きを増していく 

初めてアート作品を所有してから、20年弱。20代の頃に購入したお気に入りの服やバッグは似合わなくなってしまって、全て手放してしまったけれど、アート作品だけは、私の感性にますますフィットしてきているように感じます。 

アートを購入することは「投資」であると、よく言われます。確かに、所有している作品のアーティストが世界的に評価を得ていくことで、所有する作品が将来天文学的な価格に跳ね上がり、その作品を手放すことで、所有者の財布ははちきれんばかりになる可能性はあります。しかし、こうした資産的価値としての投資を考える、もっと手前に、感性的価値への自己投資としてのアート購入があります。 

「あなたの感性は、何を豊かさとしますか?」 

作品は常にそんな問いを私たちにくれます。アートを購入することは、自分自身の感性を肯定すること。だからこそ、アートのある暮らしには、豊かさが約束されるのです。 

2012年~2013年頃制作された水川千春さんの小作品

□関連リンク
水川千春さん

http://www.mizukawachiharu.com/

友川綾子 office ayatsumugi

https://www.ayatsumugi.net/

広報、ライター、編集者。アートギャラリーや、3331 Arts Chiyodaなどを経て2011年に独立。個人オフィスoffice ayatsumugiとして、執筆・編集のほか、アートプロジェクトの広報やマネジメントを手がけている。アートと社会の間で「つたえる」をテーマに活動。横浜のドヤ街・寿町に暮らす人々や障害のある人とのアートプロジェクトなど、マイノリティと共にあるアートに関心を寄せ、社会変容のための実践や広報活動を行っている。2019年、米国ポートランドのプロセスワーク研究所にて、インターナショナルグループにおける葛藤や対立の変容を促す、ファシリテーションと心理セラピーを修学。NPO法人スローレーベル、ヨコハマ・パラトリエンナーレ広報ディレクター。https://www.ayatsumugi.net/